「エーッ!? オレ達がアイドルだって!?」
その驚愕の色の前に立つは───メルセウスだった。
まず戸惑いを先に出したのはルカレオスで、その戸惑いと困惑はエルキュメリアンの波をも騒がしくさせたり。
同時にオルティレイスとネヴァーレンは視線を合わせていては、二人ですらも状況をあまり理解できていない。
その実、メルセウスも「僕だって理解できないよ」と言いたいのを、笑みの裏に隠したもので。
しかしこの三人がアイドルなんてしてしまったらどうなるか、興味が勝ってしまった。
「……アイドルって、あの歌って踊る奴」
「そうだね、歌って踊る奴だね」
「やたら、キラキラしている……あのアイドルか」
「そう、そのやたらキラキラしているアイドルだ」
珍しく彼らがここまで感情を揺さぶらているのはメルセウスにはよくわかる。わかるのだがしかし。
同時にメルセウスの奥に眠るなにか……サディストな面がくすぐられていたのも事実。
メルセウスは常識人に見えて───わりとそういうところもあるのだ。
それをメルセウスが自覚しているかは、本人から語られることはないであろう。
「でもオレ達ってさ……」
困惑とも違う、ルカレオスの声色にはオルティレイスとネヴァーレンも言葉なんてものは沈黙の奥にしまってしまうもので。
しん、と刹那に静けさを目を伏せる。メルセウスはその沈黙には笑みと共に破った。
「問題ないよ。君達がこれから歌うステージは───有志が特別に用意してくれたものだ」
その笑みには何を抱えているかは三人には深く察することはできない。
しかしその笑みを浮かべるメルセウスの声音は軽やかだが、その瞳には一切の冗談めいた色がなくて。
だからこそ三人は、口を噤むほかなかったのだ。
「用意された……って、本当に? オレらのために?」
ぽつり、呆然を表すかのうにルカレオス言葉を呟く。
「いいや、ルカ……僕の目で見た限り、あれは冗談では済まないよ」
ネヴァーレンもそれに低く続けては、それがますますルカレオスに言葉を出させなくなるものであって。
その刹那にルカレオスはオルティレイスに視線をやる。ネヴァーレンも続いて視線を向けたことであっただろう。
それまで言葉を出さず、眉一つ動かさなかったオルティレイスであったが───二人の視線に溜息を吐いては。
「……要するに、逃げ道はないってことだな」
沈黙の奥に重く落ちたその言葉に、メルセウスは満足げに微笑んだ。
「そういうこと。だから───練習を始めようか。君達の歌と踊りは、もう海の底で待っているのだから」
その言葉の刹那、三人の背後にゆらり。煌めく泡のような光が現れて。
瞬きをする間に広がった光景は、透き通るガラスのドームと、宙に漂う宝石のような光を宿す魚たちだった。
この目の前に広がっている景色の場所こそが、舞台であり、同時に戦場なのだと三人は瞬く間に理解をする。
「本気なようだな」
オルティレイスが短く、言葉を紡いではネヴァーレンの肩を竦めさせたものだ。
「……なら、やるしかないね」
「はァ……マジかよ……よりのよってオレらかよ……」
ルカレオスは頭を抱えながらも、逃げ場のない現実を理解していた、してしまったもので。
そんな三人を前にメルセウスは笑み以外の表情を映すことはなかった。
「さあ、立って。まずは身体を慣らすところからだ」
メルセウスが指を鳴らすと、ガラスのドームの床いっぱいに光の軌跡が走った。
それは波のようにうねり、やがて幾何学模様を描いて淡く光を放つ。まるで星座を床に落としたようでもあり、同時に舞を導く道しるべのようでもあった。
「えッ……、な、なんだこれ……!?」
「振り付けの基礎だよ。光の流れに合わせて歩き、腕を動かす──ただそれだけのことだ」
驚愕をその目で示すルカレオスに、落ち着いた調子でメルセウスは返す。
メルセウスは簡単そうに言うが、その目は愉しげに細められているのを、オルティレイスとネヴァーレンは気付いたのかもしれえない。
こうしているうちにも、幾何学模様は泡のように浮かんでは、泡のように溶けていく。
言葉こそは出さないものの、オルティレイスのその眼差しはしっかり光の導線を見捉えている。
「ただ歩くだけ、でいいのか」
オルティレイスの低い声が落ちる。メルセウスの「やってごらん」という言葉に一歩、足を踏み出すと──光は彼の動きに応じて波紋を広げ、空中に淡い水の花弁を咲かせた。
「お、おお……!? な、なんだ今の!」
ルカレオスが驚きの声を示し、慌てて同じように飛び込む。しかし勢い余って踏み外すと、光の模様が弾け飛び、まるで水柱のような光が天井へと突き抜けたのだ。
思わず短く声をあげたルカレオスには、メルセウスはこともなげに言うものだ。
「正しく踏めば美しい舞いに。外せば、ただの失態として光に刻まれる。それがこの基礎練習のルールさ」
「つまり……失敗すれば、全部晒されるってことか」
メルセウスの言葉に、そんなネヴァーレンの言の葉。ネヴァーレンは小さく肩を竦めて笑うもので。
オルティレイスもまた、メルセウスの言葉にはわずかに眉を寄せ、短く息を吐き、もう一歩光の導線を踏みしめては。
重く沈むことも、勢いで乱れることもなく──水面を渡る刃のように静かで確かな足取りを奏でさせていた。
その動きに合わせ、光は水の花弁を咲かせ、やがて旋律めいた響きがドームに反響する。
ただの一歩。されど、その一歩に宿る重みと威圧は、舞台を戦場に変えるには十分すぎた。
ネヴァーレンやルカレオスらも、その光景には言葉なんてものは出てこなかったものだ。
「……要するに、こういうことだろう」
オルティレイスは淡々と、だが揺るぎない声音で言葉を落としては。
それにメルセウスは片眉を上げ、口元に愉快げな笑みを刻んだのだ。
「うん、流石だ。君達は素質があるみたいだね」
「踊るのも、戦いと同じさ。形から覚えなければ話にならない」
「まだまだ序の口だ。次は歌だよ───声を響かせて、このドームを満たしてごらんよ」
その言葉に、三人は同時に顔をしかめた様子を見せたりなんかして。
まるで本物の戦場に立たされた時のように、心の奥底から緊張が広がっていくのを感じていたのだ。
ドームの中に静寂が落ちては透明な水の壁に囲まれ、宝石のような魚たちが瞬きながら漂っている。
その空間を満たすのは、自身の声だけだと、他でもない三人が良く理解しているもの。
自分達は、本来ならば歌うことは禁じられている存在、それもわかっている。
しかし、どこか歌えることにも奥底で期待していて、複雑。
もうこなってしまったのならば───メルセウスを信じるほかないのだ。
沈黙を破るように、最初に声を響かせたのはオルティレイスだ。
深く、重く、まるで海そのものが鳴動したかのような低音がドームを包み込む。王者の威を宿した声は、聴く者の胸を揺さぶり、抗えぬ引力となって広がっていく。
その波の上に重なったのは、ネヴァーレンの透き通る声。
柔らかさの奥に冷静な硬質を秘めた音色は、揺れる水面に月の光が差すかのように、オルティレイスの重厚さを照らし、澄んだ輪郭を与えていっては。
そして最後に、ルカレオスの声が飛び込んだ。
粗削りで真っ直ぐ、燃えるような熱を孕んだ歌声は、二人の声にぶつかりながらも不思議と響きを壊さない。むしろ荒波となって旋律を駆け抜け、力強さを加えるもの。
三つの声は衝突するどころか、まるで初めから定められていた楽曲の一部であるかのように調和していて。
低音は大地のごとく、透明な声は空のごとく、熱を帯びた声は太陽のごとく、それぞれが異なる役割を果たしながら、完璧な均衡を形作っていくものであったのだ。
その瞬間、ドームの中の光景が波のようにと揺れ動いた。
泡のように舞っていた光が、音に導かれるように軌跡を描き、魚たちは群れとなって宙を泳ぐ。煌めく光の群れはやがて星座のように繋がり、彼らの頭上にひとつの“冠”を象っては煌めく。
メルセウスは腕を組んだまま、どこか愉悦を滲ませた笑みを浮かべる。
「これが──海に選ばれた声だよ。君達はただ強いだけじゃない。歌うことでさえ、必然のように調和する」
その言葉は決して誇張ではなく、偽りでもなかった。
海の世界では王者か、あるいはそれ同等ともなっている三人が、音の世界においても、絶対的な輝きを見せたものだ。
三人の胸の奥に、言いようのない感覚が生まれたりもなんかして。
ただの偶然じゃない、力を合わせる必然に導かれているような響き、のような。
オルティレイスはその表情の奥の、声を放つたびに胸に広がる心地よさに気付いていた。
海そのものを揺らすような自分の声が、ネヴァーレンの澄んだ声で照らされ、ルカレオスの熱で燃やされていく──その調和が、奇妙なまでに「しっくりくる」そのもの。
ネヴァーレンもまた、普段なら冷静に構えているはずの心が、温かく溶けていくのを感じていて。
まるで自分の声がオルティレイスの低音に抱かれ、ルカレオスの熱に後押しされるようで───その一体感は、知識や理屈では表せないほどには心地よかった。
そしてルカレオスも、同じくそうだ。
「こんなのオレらに似合うわけねぇ」と心で毒づきながらも、声をぶつけた瞬間に血が沸き立つ。
粗削りで勢い任せな声が、二人の声に受け止められ、支えられて、輝きを増していく。それが楽しくて仕方なかった。
三人は互いに顔を見合わせることもなく、ただ響きに身を委ねていた。
驚きと戸惑いの裏側で、確かに芽生えていたのは「気持ちいい」という感覚というもの。
それは戦いの高揚にも似て、けれどもっと優しく、誇らしいもので。
メルセウスはそんなオルティレイス達の様子に、ひときわ満足げに笑ったりなんかもして。
「───そうさ。これが本当の君達だ。“厄災の象徴”だなんて謳われている君達も、声を合わせれば、調和の運命の冠を戴く存在になる」
調和とも言えよう歌声が消え、静寂がその空気を包み込んだ。
未だ収まることのない胸の奥に響きに、三人は嚙みしめようにと黙って感じている。
「……なんだよ、これ」
「マジで、ちょっと……気持ちよかったじゃねェか」
ルカレオスの声には、困惑でもなく、しかし驚愕しては先ほどの感覚を思い出す。
自身では表現しきれないほどのものが確かに生まれているのを実感しているのだ。
「僕も……認めたくはないけど、」
「声を重ねる感覚、悪くなかったよ。……歌うということがこんな風になるなんて、思いもしなかったな」
目を細めたネヴァーレンも、ルカレオスと同じ。確かなるものを感じ取っているもので。
今まで奪われてきたものに、諦めていた。仕方のないことだったと抑え込んでいた。
だから───それが今“当たり前”のように出来ている事実だなんて、そんな簡単に認めたくないと、強がりでもあって。
その二人の言葉に、オルティレイスはしばし言葉を口にすることはなかったが──やがて短く吐息を洩らした。
「……俺もだ。妙に胸に残る。悪くはない感覚だ」
三人は互いに視線を合わせることを避けながら、それでも否応なく高鳴る鼓動を共有していて。
認めるのは悔しい。だが、確かに心のどこかで「もっと歌いたい」と思っているのだ。
そんな彼らを見て、メルセウスは満足げに手を打った。
「よし、それなら次はもっと難しい曲に挑もうか。君達の声は、まだまだ深く……そして高みすらも目指せるはずだからね」
メルセウスの言葉によって、三人の胸の奥には、ほんのわずかに───小さな期待が芽生えていたのだ。
ぱちん。メルセウスは軽く指を鳴らす。
するとドームの天井を覆う水面に、波紋のような模様が浮かび上がっていて。
それはやがて譜面のように形を変え、複雑な旋律の流れを描き出したのだ。
「次はハーモニーの応用だ。単に声を合わせるだけじゃない。互いの声を聴き合い、支え合い、引き出し合う。───それができなければ、いくら君達であっても本当の舞台には立てないよ」
「お、おう!? さっきので限界だと思ってたけどチゲェんだな!?」
「そうだよ、君達の歌声はこんなもんじゃない。それに───アイドルというものはそんなに甘くない」
ネヴァーレンもオルティレイスも、メルセウスの言葉には短く息をこぼれさせたりも。
そして───メルセウス自体も、いつの間にかこの「この三人がどこまで行けるのか」を見届けたくなったのだ。
それは、好奇心でもなく本当に奥底から思う心であった。
オルティレイスは視線を譜面の光に向け、重々しくそして静かに頷く。
「……わかった。逃げ道はないんだろう。なら俺達は……もっと深く潜るだけだ」
その言葉で三人の意志が重なった刹那だ。光の譜面は強く輝き、ドーム全体が共鳴するかのように震えたのだ。
それはまるで、彼らの未来のステージが姿を現し始めているかのようであって、祝福の光のように眩しい。
「さあ、次は“本当のハーモニー”だ。声を合わせるんじゃない───声を響かせ合うんだ」
───これが、世界をも歌声で揺るがし、聖なる魅了させるほどとなる存在の伝説ともなろうとは、誰も思わなかったであろう。